美術館について

館長あいさつ

絡み合う「近代」

小川館長写真
松本市美術館館長 小川稔

早春の美術館の周辺を歩けば高鳴る湧水に驚かされます。今年度も松本市美術館の企画展/特集展示にご期待ください。

2019年、英国の大英博物館で開催された大規模な「マンガ展」は記憶に新しいところです。日本生まれのこのカルチャーはもはや世界の常識です。人間社会を鮮明に反映する表現手段としてこれほど広く受容されているものもありませんが、世界のマンガブームは昭和期の手塚治虫に始まったと言ってよいのではないでしょうか。
今年度の企画展は手塚の代表作、異能の外科医を主人公とする「ブラック・ジャック展」で始まります。医師免許をもたない彼のメスはいわば社会に切り込む武器です。手塚の切れ味鋭い描線がえぐり出すのは善悪を超え、毒も含んだ人間の本性。手塚はコミックの機能と領域を格段に広げました。「病」を主題とする作品ですから4年前、私達を襲ったパンデミック禍を振り返る機会にもなるでしょう。

近代美術史が西欧、とりわけフランス絵画を中心に語られてきたのに対する反省でしょう、周縁の東欧、北欧諸国の近代美術が見直されています。夏の企画展「北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画」展ではこの地域の画家たちの作品をまとめて紹介します。各地の森林、民族の歴史、神話に根ざした個性的な近代美術誕生の物語があります。リアルなものとロマンチックなものが綯い交ぜになる傾向がわが国近代美術の揺籃期と、また松本の文化風土にも通じることに注目していただきたいと思います。

松本の近代文化を開いたすぐれた文化人がいました。文化芸術のパトロン、近代文芸資料のコレクターであった池上喜作(号・百竹亭、1890−1978)は正岡子規に私淑、その影響から各地の文人たちと交流しました。今秋、そうした仲間の一人、香取秀真(ほつま)(1874−1954)の生誕150年を記念する展覧会を開催します。
千葉出身の香取は鋳金工芸作家、金工史研究の先駆者でもあり、また子規門下の歌人でした。百竹亭とは松本で親しく交際し、戦後、市内の寺院の梵鐘制作にも携わっています。

香取の作品は1900年パリ万博で高く評価されましたが、今年度最後の企画展として、まさにこの時代のパリ「ベル・エポック(美しき時代)」を体現する画家、版画家の紹介「ロートレック展 時をつかむ線」を開催します。近代に目覚めた民衆の文化、歓楽街にうごめく人間模様を鋭く軽妙な線描で写したロートレックですが、同時に日本の浮世絵に深い影響を受けていたこともよく知られています。

松本市美術館館長 小川稔