美術館について

館長あいさつ

「話をきく会」のはなし

松本市美術館館長 小川稔

 

雪解け水が地層に入って伏流水となり、私たちの美術館の辺りに湧出、まちの中を巡っています。今年も水音の高まる季節を迎えました。土地と人の変遷を見ながら昼夜流れ続けた幾筋もの川を見ていて思うことがあります。

 

ちょうど明治百年にあたる昭和43(1968)年のこと、市内にまだ昔を知る人々がいてよき時代を回顧し一つの碑を建てました。碑文に「明治百年百竹のあるじここにあり」とあります。松本の商家に生まれ育った百竹亭こと池上喜作(1890−1978)は家業の傍ら正岡子規に私淑、その弟子筋の歌人・俳人の薫陶を得、また全国の画家、工芸家らと交流の和を広げた文人でした。碑文は親交の深かった荻原井泉水が池上の喜寿を祝って揮毫したものです。

池上が収集した貴重な近代文芸資料と美術・工芸作品は松本市に寄贈され当館記念室で常時展示されています。

今年はさらに半世紀を重ねて明治150年。この国、このまちの近代の起点はいよいよ遠ざかるようですが開館16年目を迎えた私たちの美術館がより立つ基盤もこの辺りにあったわけです。池上とその生涯の友人であった胡桃沢勘内らが築いた郷土文化がなければこの美術館もなかったのかもしれません。

そこで思い起こすのは池上らが昭和4年に始めた青年たちの勉強会「話をきく会」のことです。当地に柳田國男、折口信夫、渋沢敬三らを招き、まだ新しい学問であった民俗学について熱心に学びました。これを機会に当地では郷土史、民間伝承資料への関心の裾野が広がったのです。

百竹亭コレクション 昭和記念集

昭和7年に撮られた印象的な集合写真(当館所蔵)があります。柳田國男を招き3日にわたる講演会を洗馬村(現塩尻市)長興寺で催した時のものです。庭園の築山に整列するでもなく、柳田國男を中心に思い思いに集まった80人以上が庭木の間から顔を覗かせています。

知と美に対する旺盛な好奇心をもち、情報の収集と発信、そしてこれを地域社会へ還元することに彼等は情熱を傾けました。

「私達の話しいと云ふ慾望は、殆んど無限に近いのであります。話の種類も従つて無限であつて欲しいのです」とは「話をきく会」の趣意書にある言葉ですが、ここには国内はもちろん世界中のひとびとが発するどんな話題にも耳を傾けようとするどん欲な向学心があります。同時に、21世紀の今日、これほどの好奇心や野生の知性を私たちは充分に備えているかと問われているようにも思います。

話題をもうひとつ。市内を流れる梓川の名は土地にゆかりの樹木から取られていますが「あずさゆみ」の枕言葉が知られるように固くしなやかな梓は弓の材料に使われた一方、出版のための版木に適していたことも忘れてはならないでしょう。出版を上梓じょうしということの由来です。「話をきく会」の人々が信州で出版に熱心に取り組んだことも思い出されます。

「あずさ」といえばその名を持つ新型特急列車が都心と松本を結んで今日も忙しく走っています。本年もどうぞ季節毎に遷り変る松本市美術館をお楽しみ下さい。

 

松本市美術館館長 小川稔