美術館について

館長あいさつ

令和の年の初めに

 

松本市美術館館長 小川稔

 

今でも愛唱される大正生まれの「早春賦」は信州安曇野あたりの風景を歌ったものだといわれますが歌詞にある「氷解け去り葦は角ぐむ」の「つのぐむ」の不思議な語感が気になりました。当地は例年、東京より少し遅れた春となりますがその時間差、まだ雪の空の下で待ちきれない前のめりの気持ちが信州文化の個性を促したのかもしれません。長い冬を耐えてようやく萌え始めた木の芽の動きをそう云うのだそうですが葦の若芽であれば「葦牙(あしかび)」とも呼ばれ、その名前のごとく鋭角的なイメージが浮かびあがります。このように言葉が連想させる特別な形象が心に響くことがあるでしょう。

川や湖畔の風景につきものの背の高い葦叢ですが私たちの心象にある原風景になぜか馴染むように思うのは水田をはじめ先祖たちの日常生活が水の側で営まれてきたせいなのかもしれません。わが国の創生神話では泥土から文明が芽生えたことが語られたことも思い出されます。植物は柔らかな曲線を描く枝葉の先端に花を咲かせますが、そもそもの生命の根源には水と泥と熱の過剰なカオスがあって、そこからグイと突き上がる突端の形象があったということ、こんなところにも私たちの時代の文化の行方を考えるヒントがあるように思います。

2019年5月1日に改元があり年号は「令和」と改まりました。梅の花見の宴に因んだ典拠があるそうですが『万葉集』巻五「梅花歌三十二首并序」の叙景からは新春のそよぐ風の中に見えない気が溢れ、清らかな白梅の色彩、蘭の香りに飛ぶ鳥の声、絹織物の手触りなど五感の融合が感じられてまだ形の定まらない新時代の出発を寿ぐのに相応しいように思いました。

そうでなくとも年が改まる度、屈んだ身体を起こして何かをリセットしたい心境となりますが今年の春はそのように一層頼もしい感懐がありました。「早春賦」のような市民の歌声がどのまち角からも聴こえてくるような御代であればいいなと思います。

ところで『万葉集』には信濃で詠まれた歌もいくつか含まれ、例えば東歌の「信濃国歌」(3352)に次のものがあります。

 

信濃なる須賀の荒野にほととぎす鳴く声聞けば時すぎにけり

 

早春から初夏へ、時は容赦なく変転するようです。

松本市美術館では今年も年間を通し様々な展覧会、教育普及プログラムを用意してお待ちしております。どうぞお出かけください。

 

松本市美術館館長 小川稔