館長あいさつ
旅人のうた

松本市美術館館長 小川稔
いつの世に 植(うえ)てちとせを 松本の 栄え久しき 色をこそみれ
松本の文人、胡桃沢勘内(くるみざわかんない)は昭和4年、東京の古書店で一冊の写本を発見します。菅江真澄(すがえますみ)の『鄙廼一曲(ひなのひとふし)』が世に知られたきっかけです。菅江真澄(1754−1829年)は江戸後期の学者、画家で、この書は信州を始め各地で歌われた田植唄、臼挽き唄を集めた歌謡集。三河に生まれ、漂泊の人生を送った真澄は遂に故郷に帰ることなく、信濃から奥羽、蝦夷の地までを歩き、土地ごとの民衆の生活を記録、また多くの絵図を残しました。民俗学の先駆けとしての業績を評価したのが柳田國男。かつて真澄が塩尻洗馬(せば)に逗留したことを記念し、昭和5年、胡桃沢と同じく松本の池上喜作(百竹亭)が長興寺で主催した「話をきく会」では、柳田が講師を務めました。ちなみに、冒頭に掲げたのは真澄が松本で詠んだ歌。各地の小さな声に耳を傾けた旅人の記録は千歳の松の緑と同様、久しく受け継がれることでしょう。
全国から松本に通じる路としての公募展、70歳以上の「老いるほど若くなる」の最終回となる第10回展では絵を描くことを喜びとする方々の作品が信濃路を旅し集まります。描くことに年齢、経験の制限はないはずで、伝えたい様々な思いが作品をとおして鑑賞者に語られるでしょう。
冷涼な気候の土地がクラフトデザインを育てたようです。北欧の生活デザインが優れていることはよく知られています。デンマーク生まれのロイヤル コペンハーゲン製陶磁器は世界で愛されていますが、青い繊細な植物文様のルーツが東アジアの染付磁器にあったことを考えればわが国での人気も頷けます。夏の企画展「ロイヤル コペンハーゲンと北欧デザインの煌めき」では、遠く離れた国々を行き来した器の旅を思い返して頂きたいと思います。
秋の企画展では信州の美術風土を築いた洋画家、石井柏亭(1882−1958年)を紹介します。柏亭も松本を旅の終着点とした一人です。戦時中に疎開、戦後は長野県を代表する美術団体、中信美術会創設に関わりました。画家としてだけでなく、批評家、教育者として戦後の美術界を導いた大きな存在でした。
世界各地から日々、旅人を迎えている松本市ですが、多くの旅行者が関心をもつのが日本発のサブカルチャー「kawaii (カワイイ)文化」です。今年度最後の「サンリオ展」では、ハローキティに代表されるサンリオ60年の歴史を振り返り、わが国の「かわいい文化」がこれほどに広がり、深さをもったことを検証したいと思います。
松本市美術館館長 小川稔